車進化論

人間の進路・行動を決める最も重大な要素は、その人の持つイメージであり、そのイメージこそが、大きく言えば民族・人類の運命をも決定すると言っても過言ではありません。つまり、我々人類が現在どのようなイメージを有しているかが重要であります。それが人類の未来の方向性を決めることになるのですから。

デザイナーは、その時代のひととなり、環境を反映したイメージを創出し、表現する、それがデザイナーであり、創作活動である、と私は考えています。すなわち、デザイン活動とは、美的活動はもとより、その時代を反映した技術的なことを含め、あらゆる広く大きな文化・知識を含有することになります。(そして、それは新時代の幕開けとなるわけです。)

私は、スポーツカー「ソーニャ」をデザイン・製作したカーデザイナーでありますが、私がなぜカーデザインを選んだかと申しますと、車こそは現時点で我々人類が獲得している最高の技術・知識、例えば自動車工学、材料学、流体力学、人間工学などを駆使して、また極限の美的センス、エネルギーをもって完成(仕上げ)させなければならない、まさに現代を反映する「芸術活動」であると考えるからです。

車はもはや、単に地点から地点への移動だけを目的とした「道具」ではありません。なぜなら「道具」とは、単一の目的に単一の機能、例えば金槌が握りこぶしの延長であり、メガネが目の機能の補助であるように、そのようなものを指します。

では、現代における車はどうでしょうか。いったん車に乗り込むと、その瞬間に我々は人間の根源的な欲求、すなわち、より美しく、より速く、より強く、より賢明に、より安全に、より快適に、をすべて手に入れることができます。

いわば、人間は車に乗ることで、人間が潜在的に、このようになりたいと考えているスーパーマンに変身できるのです。ここでいうスーパーマンとは、人間が持っている能力を、基本的欲求に基づいて、それぞれを相似的に大きく拡大した状態を意味します。つまり、車は「能力拡大器(機)」である、と私は考えています。

車は、先ほど述べた人間の基本的欲求、より美しく、より速く、より強く、より賢明に、より安全に、より快適に、をすべて拡大して、人間の知的活動・体力的活動を補助・拡大してくれる、人間にはなくてはならない存在なのです。

一方、車は、その魅力的なフォルムと輝く色彩によって、より美しくなりたいという欲求も満たしてくれます。車を人間の「第二の衣服」としてとらえた場合、そのデザイン、フォルムはファッションであり、自己表現なのです。

しかし、他方で車は、特に「ソーニャ」の場合、時速300という高速での走行を基本に考えてデザインしておりますので、その性能・技術レベルいかんにより、確実に生命維持に関係してきます。すなわち、カーデザインは先ほど述べた最先端の技術である自動車工学、材料学、流体力学、人間工学の機能をすでにそのデザインに織り込んだフォルムが要求されるということなのです。そして、最高のカーデザインとは、「美」と「機能」が一体化した、つまりアートとテクノロジーの融合した結晶体であるという結論に達したのです。

私は、その信念に基づき、自分独自の考えでカーデザインの研究を進めました。それは、古代の生物や魚類、甲殻類など有機的な生命の持つ造形と、ダイヤモンドや水晶、金属などの無機的な結晶体の持つ造形の研究です。つまり、車という機械を超えた、生命と根源的なカタチを追及する作業へと発展していったのです。

車は「能力拡大器(機)」であり、しかも人間の本能に直接訴えかけてきます。その意味で、いい車であればあるほど、生き物と同じ次元に近づいてきます。言い換えれば、人間と車がお互いに歩み寄り一体化する、新しい生き物へと進化するのです。これは新しい人間の進化の方向が示されているのではないか、そして、テクノロジーがさらに進化すればするほど、車は限りなく知的な動物、すなわちコンピュータを内蔵して、あらゆる情報を処理することができるような生き物になるのでしょう。

私のデザインした「ソーニャ」が、1991年3月のスイスで開催されたジュネーブオートショーにて、カーデザイナー、車業界関係者から注目を集めましたのは、そのデザインの中に、高速走行時にボディー両サイドに形に大きく掘られた溝が気流を能動的にコントロールして、安定性を増し、ラジエーターに整流された気流を供給して冷却効果を高め、そして、そのフォルムが斬新で美しいといった、これまで高性能スポーツカーをデザインする際に、課題とされていた美と機能をすでに含んでいるからです。

ところで、人と車の未来について考えるには、長い大きなスパンで捉えていくと、生命・人間の進化の軌跡を逆にたどることが必要になってきます。

人間→猿人→猿→齧歯動物(哺乳類)→爬虫類→両生類→魚類→・・・といった脊椎動物の進化があるわけですが、これらすべてに共通することの一つに、動くこと、移動の能力が生命維持において大変重要な役割を持っていることがわかります。例えば、獲物を捕獲する場合において、その獲物より速いスピードで動くことができなければ、まず捕まえることができません。また、逆に捕獲者から逃げて生命を守ることも同様です。そして、もう一つの共通点は、移動の方向が高低ではなく、水平の動きが基本になっていることです。この様に、動物における、生命維持からくる基本的な動き、それにのとったフォルムの主流は、水平のベクトルです。

それに対して、人間はどうでしょうか。人間は進化の過程において、後足二足歩行という特殊な進化の選択をしました。これにより、頭脳の発達という最大の武器を手に入れることができ、(そして今日、科学技術を発展させて、その力で車を作り出し、活用するにいたっているわけです。確かに人間は頭脳の発達で力を手に入れましたが)、その一方で、地球の重力に逆らい垂直のベクトルを選んだがゆえに代償として、腰痛(ヘルニア)、胃下垂、貧血症など人間特有の数々の弱点を未だに克服できずに引きずっているのです。

前にも述べた通り、動物において、生命維持のための移動、しかもより速く移動しなければならないというのは至上機能でありますが、人間の垂直方向の背骨・体形は水平方向には不都合な形態と言わざるをえません。

科学技術の発達の歴史は、人間の弱点・欠点を補う歴史でもあります。人間のこれらの欠点を、車は補い、大地を思いのままに駆ける野生の動物のように速いスピードで走る快感を与えてくれるのです。人類は、車により、スピードの速い動物に長年いだいてきたコンプレックスから解放される喜びを手に入れました。

車の未来を考える前に、車は人間の能力拡大器(機)でありますから、核である人間そのもについて考えなければなりません。人間は猿から進化したと言われていますが、では、人間は次は何になるのでしょうか!? 今まさに、長年の進化過程で失われてきた、人間の持つ弱点を、頭脳の発達で獲得したテクノロジーでもって補完する方向、すなわち、知、情、意、体力すべてをパワーアップする「能力拡大器(機)」という車を発達させることで、人間は次へ進化するのではないでしょうか。

しかし、テクノロジーを駆使するといいましても、人間の肉体を機械化し、コンピュータを埋め込むような、いわゆるサイボーグではありません。人間は今の肉体を放棄することなく、より知的な車を手に入れることで弱点をすべて克服するばかりか、より進んだ知的な生物に進化するという、新しい人間と車の調和の時代の始まりです。

これが私の言う「カーボーグ時代」のスタートなのです。「カーボーグ」という言葉は、カーとサイボーグを合体させて私が造り出した言葉なのですが、私は人間と車の関係がどう変化していくのかを追い続け、新しい時代と車とその環境のデザインを開発していきたいと思っておりますし、それが私の芸術活動であると思っています。

車に対しては、以前から公害問題や交通事故、交通渋滞等、よくマスコミでは悲観論もとりざたされています。車の存在自体を否定する向きもあることも事実です。しかしながら、これまで述べてまいりました通り、車には「能力拡大器(機)」として人間をより高い次元に進化させるという、非常に重要な役割があるのです。現在、クローズアップされている目先の問題については、これからの技術の進歩と人間のあり方(モラル)の向上により解決される問題でしょう。

車に関する技術はまだまだ未熟であり、人間と車の関係もまだ始まったばかりなのです。これからは、人間と車の密接な関係が深まるにつれて、車はさらなる進化を遂げ、それに伴い人間も進化することになる相互関係がより強くなるというのが私の持論です。

そして、その進化を方向づけ、促すのがクリエーターとしてのデザイナーの役割であると考えています。少なくとも私にとっては、人間がどのような車を生み出していくのか、それは私の創造活動のモチーフとして相手に不足のない最大のテーマであります。

なぜなら、生み出される車は、人間自身の「拡大器」であるからです。

山﨑亮志

カーデザイナー山﨑亮志

Ryoji Yamazaki アートアンドテック代表、ランボルギーニ・ソニアのカーデザイナー山﨑亮志(やまざきりょうじ)の公式ページ CEO of ART and TECH The creator of Lamborghini SOGNA and VERA

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